余裕とは

電力を安定供給するためには、常に消費電力を上回るだけの供給が必要。なので発電能力に余裕が無い状態はありえない。(このあたりはTogetterにまとまってます

じゃ、どれくらい余裕が必要なのか?

供給能力100に対して需要が95な状態があったとする。すべての発電所の信頼性が100%ならこれでも良いだろう。だが、機械である以上発電所の故障は起こり得る。その発生確率を抑えるために定期保守が必要なわけであり、定期保守をサボれば故障発生確率はじわじわと上昇する。

供給能力100に対して需要が90な状態で、能力10の火力発電所が故障で停止すれば、系全体が供給不足となり大規模停電につながりかねない。そしてその故障は、「今日の午後2時に起きる」という具合に予測することはできない。通常は平均故障間隔を元に推定される。

そして平均故障間隔が5年の機械は5年動かしたら「はい故障」とはならない。1年目で壊れるかもしれないし、10年連続で動くかもしれない。だけど、5年連続で動かせば(乱暴に言えば)50%の確率で故障することが期待される。

というのをわかった上で、関西電力は大飯停止後に火力発電所を「無理させて」稼働させ続けてきたわけだ。

余力10の状態で、供給能力10の発電所が故障する確率が10%と推定されたら、そりゃ計画停電せざるを得ないでしょ。10%の確率で大規模停電するかもしれないわけだから。

だけど大飯を動かせば、保守が必要だった火力発電所を止められる。夜間の余力を揚水に回せば、昼間の余力も増える。同じ余力10であっても「大飯が稼働している余力10」と、「火力に鞭打って保っている余力10」とでは、系全体が停止する確率が異なる、ということ。

なので、きっこを始めとする放射脳な反原発な方々が「大飯を動かして火力を止めたのに計画停電が生じないのはおかしい」と騒ぎまわるのは間抜けなんだよね。(きっこに関していえば、単純な算数はできるらしいということを証明してくれたのは驚きであった)

もちろん大飯もなんらかの理由で緊急停止するかもしれない。だけど、保守明け早々に止まる確率は、保守を先送りして稼働させ続けてきた火力発電所が壊れる確率より相当小さいだろうね。ましてや福島の事故を引き起こしたような「1000年に一度」と言われる巨大地震を憂うのは10歩先に落とし穴があるのに、数キロ先の崖から滑り落ちる可能性に慄くのと変わらんでしょ。

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